azabu tailor

SPECIAL COLUMNWhy we dress down

ドレスダウン ー、そのルーツには賛美すべき自由主義の精神が根付いています。SNSを中心に絶大な支持を得る現代メンズファッションのキーパーソンであるデレク・ガイ氏に、ドレスダウンの歴史と美学にまつわるコラムを特別に寄稿していただきました。

ハリウッドの黄金期を代表するスター、ケーリー・グラント。タキシードで床に座って写真に収まるなど、気取りのないイメージを確立したスタイルアイコン。

ハリウッドの黄金期を代表するスター、ケーリー・グラント。タキシードで床に座って写真に収まるなど、気取りのないイメージを確立したスタイルアイコン。

SPECIAL COLUMNWhy we dress down

ドレスダウン ー、そのルーツには賛美すべき自由主義の精神が根付いています。SNSを中心に絶大な支持を得る現代メンズファッションのキーパーソンであるデレク・ガイ氏に、ドレスダウンの歴史と美学にまつわるコラムを特別に寄稿していただきました。

服装のカジュアル化は、
健全な自由主義の表れである

映画『ミンクの手ざわり』で、ケーリー・グラントは、おなじみのユニフォームを着た優雅な重役を演じています。つまり、映画の大半で、完璧に仕立てられたグレーのウーステッドスーツに、パリッとしたスプレッドカラーのシャツ、ダークカラーのシルクタイ、黒のオックスフォードシューズを身につけて登場するのです。しかし、マディソンアベニューに位置するウッディなオフィスにのんびりと入ってくると、スーツのジャケットを脱いで軽いカーディガンを羽織り、かっちりとした短靴を脱いで快適なタッセルローファーを履きます。マンハッタンのビジネスマンがオフィスでローファーを履くなんて、数十年前であれば英国紳士を震え上がらせたことでしょう。しかし、1962年に映画が公開された当時は注目されなかったこの日常的な行為は、男性の服装の歴史における重要なテーマを強調しています。今日、私たちが洗練されていてフォーマルだと思っているものは、かつて古い世代にとっては粗野でカジュアルすぎると考えられていた、ということです。

実際、今では体面の象徴となったスーツも、かつては現代におけるカーゴショーツのようなものだと考えられていたのです。というのも、20世紀初頭には、弁護士、銀行家、政治家など高い地位にある男性は「フロックコート」と呼ばれる体にフィットした長い服を着ていました。労働者階級の事務員、管理者、店主など社会的、職業的な階層で数段下の人々は、コットンやリネンなどを用いた丈夫な織物による「ラウンジスーツ (現代のビジネススーツの原形)」 を着ていました。当時、スーツは非常にカジュアルだと考えられていたため、1892年8月、英国労働党の創設者のひとり、ジェームズ・ケア・ハーディーが(より一般的な国会議員の制服である、シルクハットと糊のきいたウイングカラーシャツを合わせたフロックコートではなく)、 無地のツイードスーツで国会に現れて、上流社会に衝撃を与えました。上下組みであるという、この制服的な単色性は資本主義美学の台頭と重なることになります。かつてはだらしない服装とみなされていたものが、きちんとした礼儀正しさのイメージに変わるまでには、西洋社会に大きな変革が必要だったのです。

多くの批評家は、服装のカジュアル化を規範の逸脱、怠惰の蔓延、容姿への誇りの欠如と捉えていますが、実は、それはより高貴なことに根差しています。ヨーロッパの君主制を背景に17世紀の西洋哲学者は人間性についてより楽観的な見解を示しています。20世紀を代表するイギリスの哲学者アイザイア・バーリンの言葉を借りれば、彼らは「人間は生まれつき善良ではないとしても、少なくとも悪くはなく、潜在的に慈悲深く、各人は自分の利益と自分の価値観について最も優れた専門家である」と信じていました。17世紀から続くこの思想は、啓蒙主義として知られる知的革命へと引き継がれ、そこから民主主義、資本主義、科学、合理性、自然権などのアイデアが生まれることになります。

ワードローブを点検し、それぞれのアイテムの歴史を調べてみましょう。クローゼットにある多くのものが、同じように質素な起源から来ていることに気づくでしょう。ブルージーンズはもともと、カリフォルニアのゴールドラッシュの時代に金鉱夫のためにデザインされました。ピーコート、ダッフルコート、ネイビーのブレザーはかつて海軍士官の制服の一部でした。タートルネックセーターはかつて、主に北海やその周辺で働く漁師たちが着ていました(1924年にノエル・カワードがタートルネックの流行を起こし、セーターを労働者階級の起源から脱却させるまでは)。今日ではフォーマルウエアと見なされているブラックタイでさえ、ドレスダウンしたいという願望から生まれました。厳密に言えば、真のフォーマルウエアは「ホワイトタイ」としても知られるイブニングドレススタイルです。これには、長い黒の燕尾服、糊付けまたはピケの胸当てが付いた白いドレスシャツ、白いピケ素材のウエストコート、白い蝶ネクタイが含まれます。1800年代後半、ニューヨーク州のタキシード・パーク周辺のアメリカのエリートたちは、この堅苦しいユニフォームに代わる、もっとカジュアルなものを求めていました。そこで彼らはヘンリー・プールに短いジャケットを注文しました。このスタイルは、晩餐会でよく使われていたことから、後にディナージャケットと呼ばれるようになりました。今日、ディナースーツ (タキシード・パークで生まれたことからタキシードとも呼ばれる)は、ほとんどの男性が想像できる最もフォーマルな服装となっています。

過去400年間、男性の服装は常に、よりカジュアルで、より快適で、より気取らない方向に変化してきました。20世紀のファッション史は「スタイルの影響がどのように変化してきたか」ということに重きを置いています。ドイツの社会学者ゲオルク・ジンメルがエッセイ「ファッションについて」で指摘したように、人々は一般的に社会的地位の高い人から服装の影響を受けます。このエッセイが出版された1904年当時、人々は支配階級のメンバーを模倣するのが一般的で、ウィンザー公爵は彼の世代で最も影響力のあるスタイルパーソンでした。しかし、時代が進むにつれて、服装の影響は上から下へと滴り落ちるのではなく、間欠泉のように下から噴出するようになります。戦後、男性の服装を変えたのはまたしても労働者階級のメンバーであり、最初は反体制派の人々が白いTシャツに革ジャン、ブルージーンズで反逆者のポーズを取っていました。戦後のほぼすべての重要なファッションムーブメント、つまりスウィングキッズやヘップキャット(1940年代のジャズ、ビバップの演奏者や愛好家。太いパンツのズートスーツを好んで着用)、バイカー、ロッカー、アウトローなどが、この時期に流行しました。ビートジェネレーションとビートニク、モダニストとモッズ、ドラッグとダンディ、ヒッピーとボヘミアンなど、さまざまなジャンルを背景に、この流行は、堅苦しいダークなウーステッドスーツに代わる、よりカジュアルなスタイルを開拓することとなりました。スーツ自体が、長く黒いフロックコートに対する反抗だったとも言えます。

この歴史は、仕立て屋を愛する人々を落胆させるかもしれません。しかし、人々がカジュアルな服装を奨励してきた根本的な力を忘れてはなりません。自由主義は、フランス革命のスローガン「自由、平等、友愛」に最もよく要約されていることです。あるいは、アメリカ独立宣言で今も最も重要視されている「すべての人間は生まれながらにして平等で自由である」という一節。自由主義とは、人々が自分の人生を自分でコントロールすべきであり、私たちは皆平等であり、一般市民は祝福に値するという信念です。スーツの着用率が戦前の水準に戻ることはないかもしれませんが、私たちは同時に、スーツ、スポーツコート、仕立てのいいトラウザーズを自ら好んで、それらを着続けることができます。カジュアルな服装の自由とは、私たちが好きなスタイルを誰にも邪魔されることなく、何でも着用できることを意味するのです。

来店予約・店舗一覧

麻布テーラーではお客様をお待たせすることなくゆったりとお買い物いただくため、来店のご予約を承っております。

来店予約に進む近くの店舗を確認
25thカタログトップに戻る