上月のきづき # 17年前の一着が教えてくれた、装いの本質
先日、社内で過去の資料を整理していた時、一枚のイラストを見つけました。そこに描かれていたのは、37歳の頃の私。麻布テーラーの広告用に綿谷画伯に描いていただいた、17年前の自分の姿でした。

改めて眺めていると、不思議と当時の空気までよみがえってきました。当時、双子は5歳、下の娘は2歳。それから月日が流れ、子供たちは成長し、来年には双子が社会へ出ようとしています。仕事も、暮らしも、少しずつ変化しました。
そして、もうひとつ大きく変わったものがあります。それは、イラストに描かれたスーツです。ダブルブレストなのに細めのラペル。パンツのシルエットも、今見るとなかなか攻めています(苦笑)。
確かに、服は時代とともに変化します。トレンドも変わります。着こなしの価値観も変わります。そして、私自身もイラストを見ながら「若かったな」と感じる一方で、別のところにも目がいきました。それ以上に目が留まったのは、少し茶色く染めた髪でした。「そんな時代もあったな」と、思わず苦笑いしてしまいました。そんな少し恥ずかしい気持ちも含めて、一枚のイラストが17年前の自分を思い出させてくれました。
しかし、不思議なことに気づいたのです。スーツの形は変わっています。時代も変わっています。それでも、当時の自分が大切にしていた「装うことへの想い」は、今と何も変わっていませんでした。
大切な場面では、装いを通して相手への敬意を表現する。その気持ちは、17年前も、そして今も変わりません。今回は、この一枚のイラストをきっかけに、フォーマルについて学び、伝える立場になったことで改めて感じたことを書きたいと思います。
「先生」と呼ばれることには、今でも少しだけ違和感があります。長くスーツに携わる仕事をしてきましたが、自分自身が誰かに知識を伝える立場になるとは、以前は想像していませんでした。日本フォーマル協会の講師として登壇する機会をいただくようになり、私自身が学ぶこともたくさんあります。お話しするたびに、装いの意味を深く考えさせられます。

フォーマルには、多くのルールがあります。昼と夜の装いの違い。ブラックスーツとタキシードの役割。新郎、親族、参列者、それぞれに求められる装い。一つひとつには、きちんとした理由があります。ただ、その理由を単なる決まりごととしてだけを伝えてしまうと、本来フォーマルが持っている大切な意味は伝わりません。
フォーマルとは、「正しい服」を着ることが目的ではありません。その場に集う人への敬意を、装いという形で表現する文化です。例えば結婚式。主役は新郎新婦です。だからこそ、新郎は最も格式の高い装いを選び、親族はゲストを迎える立場として品格ある装いを意識する。そして参列者は、祝福する気持ちを服装でも表現します。同じ結婚式という場でも、立場によって装いの意味は変わります。
「何を着るか」ではなく、「なぜそれを着るのか」。そこを理解すると、フォーマルは単なるルールではなく、人と人との関係を大切にする文化だと気づきます。
麻布テーラーがフォーマルで大切にしているのは、「礼装にふさわしい黒」です。黒は単なる色ではなく、その場への敬意や品格を映し出すものだと考えています。だからこそ、生地や加工にも妥協せず、「黒の深さ」を追求しています。
一見すると、どれも同じ黒に見えるかもしれません。しかし、同じ黒でも、その表情は大きく異なります。糸の選び方、染色、そして仕上げ。その積み重ねが、礼装にふさわしい”黒の深さ”を生み出します。 麻布テーラーが提案する「麻布ブラックス」は、礼装にふさわしい黒を追求したフォーマル素材のコレクションです。

例えば国産フォーマル生地では、ウール表面のスケール(キューティクル)を整えるオフスケール加工により染料を繊維内部まで浸透させ、さらに濃染加工によって黒の深みを高めることで、光を吸い込むような品格ある黒を表現しています。
一方、インポートフォーマル生地は、世界各国の優れた原料や織りの技術によって生まれる、豊かな表情と上質感が魅力です。しかし、礼装に求められる「黒」に対する価値観は、日本と海外では少し異なります。
日本では、冠婚葬祭の文化の中で「より深く、より美しい黒」が礼装の品格として大切にされてきました。そのため、国産フォーマル生地には、黒の深みを追求するための染色や仕上げ技術が数多く受け継がれています。
一方、海外では素材そのものが持つ風合いや織りの表情、自然な光沢感を活かしたエレガントな礼装文化が育まれてきました。だからこそ麻布テーラーでは、インポート生地を選ぶ際にも、日本の礼装文化にふさわしい「黒」であることを大切にしています。
どちらが優れているということではありません。それぞれの土地で育まれてきた文化や美意識が異なるからこそ、黒という色にもさまざまな表現が生まれるのです。
黒について深く考えるようになり、改めて感じることがあります。フォーマルにおいて大切なのは、決められた服を着ることだけではありません。その一着を選ぶ背景には、必ず人それぞれの想いがあります。
結婚式であれば、大切な人を祝福する気持ち。ご家族の節目であれば、その時間を共に過ごす覚悟。そして、自分自身の人生の節目においては、その瞬間を大切に記憶に残したいという想い。
服は、その気持ちを言葉に代わって伝えてくれるものだと思います。だからこそ、フォーマルは「一度着れば役目を終える服」ではありません。人生の大切な場面に寄り添い、その時の記憶とともに残っていくものです。

ちょうど今、麻布テーラーでは「Wedding Formal Selection」を開催しています。人生の節目を迎える方々が、一着の装いに込める想いを大切にしながら、その日を迎えていただけたら嬉しく思います。
そして、もう一度あの17年前のイラストを見返しました。37歳だった自分。当時は当たり前だと思っていたスーツも、今見るとラペルの太さやパンツのシルエットに時代を感じます。しかし、その一着に込めていた想いは、今も変わりません。
シルエットも変わる。トレンドも変わる。価値観も変わる。でも、「相手を想う装い」だけは変わらない。服は時代とともに進化します。だからこそ、変わらない装いの価値を大切にしながら、これからも一着一着に向き合っていきたいと思います。
ちなみに、17年前の自分に一つだけ伝えられるなら、「パンツはもう少し太く長くてもよかったかも」と(笑)。また一つ、「きづき」をいただきました。