私のカリスマ。

今回のブログは、麻布テーラーは全く関係のない個人的内容でございます。オフィシャルなブログを使用して、大変申し訳ありません。でも、麻布テーラーをディレクションしている私の人となりが分かる内容だと思います。内容は自爆ブログでございます。

先日、原宿の伝説「ゴローズ」創業者の高橋吾郎が死去という残念なニュースを某サイトで目にしました。我々の同世代にとって「goro’s(ゴローズ)」は、憧れのインディアンジュエリーであり、ゴローさんはカリスマでした。

我々の同世代ならば、一度は経験した渋カジと言われたスタイル。新潟生まれの私は、大学入学と同時に上京して、当時の最新スタイルである渋カジを全身に身に纏うために、バイトに精を出していました。そして、ようやく手に入れたのはこれらでした。

VANSONの革ジャンや革パン、Red Wingのワークブーツ、そしてgoro’sのインディアンジュエリーの渋カジ三種の神器です。当時は、これ以外にもいくつか所有していましたが、全て売却してしまい現在はこれだけが自宅に残っていました。勿論、現在の私のライフスタイルにマッチしていないので、数十年使用していません。しかし、私が現在のようにファションに携わる仕事に就いたのも、この時代を経験したからだと今でも思っています。それが理由で、この3点はずっと私のクローゼットに君臨しています。

そんなgoro’sですが、私のgoro’sメタルネックレスの裏に刻印が入っています。「1992 TSUYOSHI KOUZUKI」ということは20歳の時、今から21年前の代物になるわけです。

「ゴローズ」創業者の高橋吾郎さん自ら刻印していただのですが、その時の様子を現在でも鮮明に覚えています。

そして、こんなエピソードも。これを買う時に、当時に交際していた女性と一緒にいたのですが、ゴローさんは彼女の名前も一緒に刻印してはどうかと提案してきたのです。結果は、見てのとおり。。。酷い男です。

出張から帰り、暫くぶりに自宅で食事をしながら、妻にゴローさんが亡くなったらしいという話しをしました。妻もとても驚いていました。当時の同世代の女性の間でも渋カジスタイルが全盛で、女性でもgoro’sのインディアンジュエリーを付けることがステイタスであったので、同年の妻も知っているのです。

妻から最後にひとこと。あの時の貴方は酷かった。。。ゴローズでとてもショックを受けた。。。。

あとはご想像にお任せします。

もう一人のカリスマが誕生した瞬間でした。

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